第8場アルバートのピアノ

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テリィは、今では自分の家にある、そのピアノの前に座っていた。

ピアノを見る度に、その美しさに感嘆せずにいられなかった。

それは突然、動物好きで、かつて路上での喧嘩から助けてくれたアルバートの手紙によってもたらされた。

やあテリィ

突然の手紙で失礼するよ。

でも君を頼っても良いだろうか、旧友よ。

君は、僕の記憶がすっかり戻って、また旅をしている事を喜んでくれるだろう。

僕の家族が、サン・パウロで事業をしていると知ってね、今はそこで手伝いをしている。

最近、ニューヨークにいる遠い親戚が亡くなったんだ。

彼は骨董品の愛好家でね。

どうやら貴重な所蔵品の中から、骨董のピアノを僕に遺してくれていたんだよ。

僕は全く音楽には興味がないのだが、このピアノは、かなりの価値があると言われてね。

まあとにかく、僕を思ってくれた人からの贈り物だし、きちんと取り扱いたかったんだ。

ところが、サン・パウロにいる僕には、今受け取るのは不可能だ。

アメリカに現住所も無いし、何処に送るにも不都合でね。

そんな時に、君がニューヨークにいる唯一の知り合いだと、思い出したんだ。

僕の為に保管しておいてくれないだろうか?

次にアメリカに帰った時は、受け取りに行くと約束するよ。

ニューヨークにいる故人の弁護士と、財産管理人には君に連絡するよう伝えておいた。

頼りにしていいんだろう、旧友?恩に切るよ。

心より

アルバート』

******

テリィは、アルバートがキャンディの事を何も言っていないことに気づいた。

(──アルバートさんは、もうキャンディとは一緒に住んでいないってことか。キャンディはまだ一人なのだろうか......)

テリィを訪ねて来た弁護士が、この手紙をくれた。その後間もなく、テリィの許可で、ピアノは自宅へと届けられた。

テリィも驚いたが、それは真実、絶妙な楽器だった。

保管状態も抜群だ。

全体はローズウッドから作られていたが、脚は黒い蛇紋石だった。

彫刻のデザインは洗練されていて、一流の職人によって施されていた。

テリィがいくつか鍵盤をたたくと、奏でる音は、研ぎ澄まされた小さな鐘が鳴っているようだった。

テリィがそのピアノを初めて弾いた途端、ふいに思い出がよみがえった。

『もっとぼくのピアノを聴きたかったら窓を飛び超えておいで。さあ、メスザルならお得意だろう』*5

『メスザル、メスザルって、ほんと、失礼なひとね!』

穏やかな微笑が、テリィの顔に浮かんだ。

テリィは、モーツァルトの子守唄を弾き始めた。

テリィは、背後でスザナが見ていることに気付いていた。

しかしピアノを弾いているうちに、スザナがそこにいるにも関わらず、一人になれる空間へと押し出されているように感じた。

テリィは、すぐに音楽にのめり込んでいった。静かな子守唄は終わり、荒々しいふざけた曲調へと変わった。

テリィが鍵盤に沿って指を走らせると、音符は息を吹き返す。

『なんて曲なの?』*6

キャンディは、テリィの後ろに立つ。

『即興だよ。題して、"ターザンそばかすとメスザルのテーマ "!』

自分でも気付かぬ内にテリィは、吹き出した。

ピアノを弾きながら、テリィはキャンディとのピアノレッスンを思い出していた。

テリィが弾き終わると、スザナがこう言うのが聞こえた。

「テリィ、あなたがピアノを弾けるなんて知りませんでしたわ。何に笑っていらしたの?」

──テリィは鍵盤を見つめ、スザナを見ずに答えた。

「──何でもない。笑ってなんていないさ」
平静さを無理矢理装った。

張り詰めた静寂に包まれる。

(──我慢できない。スザナのそばにいるべきなのに、スザナを......見たくもない )

テリィは、またピアノを弾き始めた。

(ピアノはいい。張り詰めた沈黙を埋め尽くすには、いい方法だ )

スザナは、テリィがピアノを弾くのをただじっと見ていた。

テリィは、音楽にのめり込んでいった。

俯いた瞳のままのテリィは、この世の全てから切り離された空間に包まれ、そして、そこはスザナには手の届かない場所であった。

するとテリィの奏でる音楽は、突然陽気で明るい踊るようなモーツァルトの楽曲から、心をかき乱すものへと変わった。

調和もなく、全くもってバラバラだった。テリィは、音楽そのものが心をかき乱すように夢中で弾いた。

不協和音がやっと終わると、スザナはテリィに尋ねた。

「......何ておどろおどろしい音楽なのでしょう、テリィ。今弾いていたのは何なのですか?」

テリィは、イライラしないように気をつけ、間を置き、静かに言った。
「シェーンベルク 3つのピアノ曲 op11」

そうしてテリィは、また同じ曲を弾き始めた。

同じ部屋にいながらにして、スザナには、テリィがピアノを弾いている時以上に、テリィの存在を遠く感じることは、無かった──。

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参考資料
*5
名木田恵子著
小説キャンディキャンディファイナルストーリー下巻
祥伝社 2010年11月10日 発行
53頁

*6
上記同
92頁

The One I Love Belongs to Somebody Else    〜それでも君を愛してる〜  By Alexa KangTahanan ng mga kuwento. Tumuklas ngayon