第16場クレアモント・インへの訪問

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クレアモント・インは、大きくはなかったが、ここ何年かで人気の出てきたアートデコの家具を備えた内装がお洒落なホテルだった。
ホテルロビーはこじんまりと落ち着いていた。
蓄音機がピアノ曲を奏でている。

キャンディは、少し不安になりながらロビーでテリィを待っていた。

「キャンディ!」
テリィは、キャンディの姿に嬉しさを隠せなかった。

キャンディは、テリィにほほ笑み、頷いて合図した。
テリィは、キャンディを強く抱きしめたい衝動にかられた。

「......散歩しない?」
キャンディは、テリィにほほ笑みながら誘った。

美しい、晴れた日だった。
キャンディとテリィは無言のまましばらく歩いていた。

ただテリィと一緒にいたり、散歩したりという、ごくありふれたことをしたいと望んでいたかつての自分を、思いだしていた。

ベンチに辿り着くと、キャンディが腰かけた。
テリィも続いてキャンディの隣に座った。

「ポップコーンでも買ってこようか?」
テリィはそう言いながら笑う。

その問いかけにキャンディは笑ってしまい、二人の間にあった緊張感が少し緩んだ。

「テリィ。私、ゆうべいろいろ考えたのよ......」

テリィの表情が真剣になった。

「......あなたに会えて......本当に嬉しいの」
キャンディはそう言うと、テリィの瞳を真っ直ぐに見つめた。
お互いの瞳を捉えた目は、反らすことが出来ずにじっと動かない。

「あなたがここにいるなんて、まだ信じられない。ニューヨークをたった後は全てが辛かったの」

「キャンディ、君が辛い経験をしなければいけなかったことは、すまないと思っている。どうやってつぐなったらいいのかわからない......」

二人はしばらく黙ったままでいた。

「あなたは、わたしがニューヨークに行く前にとっくに決めていたんだわ。──ただどうやってわたしに伝えたらいいのか、わからなかっただけよ......」
静かにきゃンディは続けた。
「時々、間違った道を選んでしまったんじゃないかと思ったのよ。でも、そう思わないように努力したの。だって、そうしなかったら私......頭が変になっていたから......。正しいのか......、間違っていたのか。......前に進んで行くには、私達が選んだことは正しかったって......自分に、そう......納得させなければいけなかったの......。私には、あなたが何を選ぶかわかっていたし、......あなたが彼女と恋に落ちると思っていたの......」
優しい口調で更に言った。

「──私が去りさえすれば、みんなの苦しみが少なくてすむと思ったの」

「キャンディ!おれは!君以外、誰も愛したことなんてない!」
テリィがそう言った時、キャンディには胸の鼓動がまた聞こえた。

炎が、鼓動の向こうで──ゆっくりと、燃え盛る。
キャンディは、必死で無視しようとした。

「......テリィ、......私、半年前に婚約したの。......結婚式は来月よ」
キャンディは静かに、殆どささやくように言った。

キャンディは、膝の上におかれた指に光る、エメラルドの婚約指輪を見下ろした。
テリィの反応を見る勇気は、キャンディにはなかった。

テリィは、自分の後ろで世界が渦巻いているように感じ、思わずキャンディから目を逸らした。

(──おれ達はいつもすれ違う運命なのか?)
テリィは苦笑いを浮かべた。
「ということは、君の答えはノーなんだな?」
ほとんど諦め気分だった。

おそらくこれは、他の誰かの為にキャンディを追いやってしまったテリィに課せられた罰に違いない。
テリィは、落胆を隠せずにいた。

しかし、キャンディは答えない。
テリィは、横目でキャンディを見た。
悲しそうだった。
テリィにはキャンディが何を考えているのかわからない。

「おれにノーと言えるのか?キャンディ」
囁くように言った。

キャンディはテリィを見たが、無言のままだった。

「おれに立ち去って欲しいと言えよ、キャンディ」
テリィはより力強い口調で言いながら、キャンディの手を握りしめた。

「おれに去って欲しいと言えば、おれはそうするし、二度と君には会わない」

キャンディは驚いてテリィを見た。
テリィが去っていくのを見る......?

突然キャンディは、サザンプトン港へと急ぎ走る馬車の中に戻っていた。記憶の波が打ち寄せてきた。

テリィを追わなくちゃ。

テリィに追いついて言わなくちゃ。

『どこへもいかないで!!』

テリィは今もまだ、キャンディの手をきつく握りしめていた。

若い女性がクレアモント・インから出てきて馬車に乗り込み、去るまでの間、二人を見ていることになど気づきもしないで。
女性は不審気に二人をじっと見ていた。

それはセシリア、アーロンの妹だった。
彼女は、ホテルのオーナー夫人にドレスを届けに来ていたのだった。

テリィは、何かに気づいたようにキャンディの瞳を見つめた。
ずる賢い笑みがこぼれる。

「 君には言えない!君には言えないんだ!おれに立ち去れとは、言えない!!そうなんだろ!?」

キャンディは、これも否定しなかった。

「キャンディ──」
テリィの声はまた真剣になった。

「こんなふうに付け込むのは不躾かもしれない。でも、君がまだ結婚していないのなら、おれはここを離れない」

「テリィ!」
キャンディは、声を荒らげた。不安になってきた。

「テリィ、何をするつもりなの?」

「君に、おれのところに戻ってきて欲しいんだ」

「結婚式は来月って云ったよな。おれはこのベンチで、毎日君を待つよ。おれを選ぶのか、他の誰かと結婚の誓いをたてるのか、君が決めるまでな!」

「テリィ、そんなの、......無理よ」

「心配しなさんなって。その "カレ" と問題を起こしたりしないさ」
口籠って言った。
「......誰であってもな......」
テリィには、"婚約者" という単語は口に出せなかった。

「あんなことがあった後に、君たちの間に割って入る権利などおれにはない......わかってるさ。でも君がノーと言うのを聞くまで、おれはあきらめない」


キャンディは、うつむいていた。
キャンディには、テリィが自分に及ぼす影響を拭いされなかった。
ため息をつくと、ゆくっリと手を離した。

「もう......行かなくちゃ......」
そう言って、ベンチから立ち上がった。

「いつでも、来れる時に来てくれ、キャンディ。おれ達は既に沢山の時間を失ってきたんだ。おれ達に、......もうチャンスはないのかい?」

キャンディは歩き始めたが、一瞬躊躇すると、踵を返しテリィに言った。

「......考えてみるわね」
そうしてキャンディは早々に去っていった。

胸の鼓動を波立たせながら。

『君以外、誰も愛したことなんてない!』

テリィの言葉は、歩く度にキャンディの後ろからついてきた。




The One I Love Belongs to Somebody Else    〜それでも君を愛してる〜  By Alexa KangWhere stories live. Discover now